広報 ふくしビトリレー

大木町の福祉に関わる人達(ふくしビト)を、リレー形式で繋いでいく「ふくしビトリレー」がスタート!!
それぞれに様々な思いや希望を抱き・活躍するふくしビト達。
世代や背景を超え、町内の294(フクシ)人のふくしビトの発掘や繋がりを目指します。

①バトンを受け取った方は、次の素敵なふくしビトをご紹介ください。
②もし難しい場合は、社協がマッチングしますので、新たなふくしビトと出会い、繋がって頂きます。

八嶋 粋(やしま すい)さん

 現在は町内に住んでいますが、物心ついてから社会人になるまで東京で生活をしていました。母方の祖父母が大木町に住んでいたため、夏休みなどには毎年1~3週間ほど遊びに来ていました。社会人になり、デンマークへ留学中、知り合いもおらず孤食をしていた時に地域食堂の開催を知り、初めて足を運びました。それまでは地域食堂という存在も知らなかったのですが、留学生の私にデンマークの方たちはとても良くしてくださいました。そういった経験や「大木町の地域づくりに関わりたい」という思いも重なり、帰国後の今は大木町の祖母宅で暮らしながら、地域の様々な活動に参加しています。

 今回、ふくしビトのお話をいただいた時、「私、福祉に関わってるかな?私がふくしビトでいいの?」と思ったのが率直な感想でした(笑)。自分が行っている活動を福祉だと感じたことはなかったですが、インタビューが決まって、私にとっての「福祉」を改めて考えてみました。
 私にとっての福祉とは「幸せをみんなとシェア(共有)すること」です。それぞれ得手・不得手がありますが、互いに助け合い、いろんな人たちが関わっていくことが大事だと思います。世代や国籍が違っても、喜びとやさしさで人と人が繋がっていけるよう、今後も様々な活動に取り組んでいきたいです。

YAMAGUCHI RUBY(ルビー)さん

 三年前、福祉の技能実習生としてフィリピンからやってきました。家族と離れ寂しい気持ちもありましたが、現在の高齢者介護施設で、利用者さんと関わることにとてもやりがいを感じています。自分がお手伝いすることで、「ありがとう」と言ってもらえることが、私の喜びになっています。福祉に関わることで、フィリピンの家族だけでなく、大木町にも新しい家族ができたような幸せな気持ちです。

 今でも、家族に会えず寂しくなる時はありますが、「私は旅行じゃなくて、住んでいるのだから誰よりも楽しまないと!」と思い、イベントを見つけては参加するようにしています。大木町はイベントが多く、そのおかげで昨年の「浴衣体験」では初めて浴衣を着ることができ、さるこいフェスタでは、マッシュルームおにぎりや、フィリピンに居た頃は一度も食べたことのなかったカレーライスなど珍しい料理を食べることが出来ました。日本でやってみたいことがいっぱい!介護福祉士の試験に合格後、家族と一緒に日本で暮らし、もっと楽しむことが今の目標です。

JUMANGIT JUDITH BURINAGA(ジュディス)さん

 三年前、娘の教育資金のために福祉の技能実習生としてフィリピンからやってきました。現在、高齢者の介護施設で、主に食事や入浴・排泄の介助、見守り、傾聴などの仕事を担当しています。たくさんの利用者さんと関わることで、日本語の勉強だけでなく、コミュニケーションスキルや相手に共感したり、問題を解決したりといった自分自身のスキルを高めることにも繋がっています。

 道を歩いていると、突然聞こえてきた「タガログ語」。私の地元の言葉が聞こえたので、すぐに声をかけました。その方もフィリピン人で、日本の男性と結婚され大木町に住んでいらっしゃるとのこと。今ではお誕生日会に呼ばれるほど仲の良い友人です。大木町でまさかのフィリピン人の友達もでき、近所の方とも挨拶を交わすようになり、大木町のあたたかさを日々感じて暮らしています。私は楽しいことが大好き!介護福祉士の試験勉強を頑張りつつ、藤の花を見たり、日本の文化も楽しみたいです。

高井良 暢子 (たかいら のぶこ)さん

 ひしのみに入職する前は、海外旅行の添乗員をしていました。当時から、障がい等がある方たちにも同じように楽しんでいただくため、「差別をしてはいけない」という自分なりの信念を持って接することを心掛け、今もその気持ちは変わりません。添乗員という仕事を通じて、健常者や障がい者、外国人といった「枠で人を判断したくない」という気持ちを抱き始めたことが、私がふくしビトになったきっかけかもしれません。

 ひしのみ国際交流センターは、地域の国際化と世界で活躍できる人材の育成を目的に平成2年に設立されました。現在は、海外派遣事業や夏休みの子ども英会話教室、大木町在住の外国人に向けた日本語教室などを実施しています。最近では、技能実習生が地域食堂で自国の料理を作ってふるまうなど、住民のみなさんとの繋がりができました。今後も地域と外国の方を繋ぎ、誰もが住みやすい大木町になっていくことを願っています。

石川 和廣(いしかわ かずひろ)さん

 もともとは、大川出身で結婚をきっかけに大木町に引っ越してきました。地元でないこともあり、若い時は地域にあまり顔を出すことはなかったのですが、10年前に老人クラブの会長の役が回ってきたことをきっかけに、地域の方々と関わるようになりました。私が住んでいる絵下古賀では、会計や庶務など2年ずつ役割を担います。計14年間私もその役を続けてきたことで、みんなの顔も分かり、関係を築くきっかけになりました。

 私にとって福祉とは、「人を幸せにすること」だと考えています。私は昔から畑をするのが趣味で、自宅で野菜を作っています。以前、妻がお世話になっていたデイサービスに行っていた時には、野菜を持たせたりしていました。お互い助け合いの気持ちを持って人が喜んで、幸せになってくれたら、それが福祉だと思います。でもこれは、無理をするものではなく、無意識に、気付いた人がやればそれでいい、と思っています。

菰方 純子(こもかた じゅんこ)さん

 8年前、大角西の民生委員になったことで、福祉に関わるようになりました。民生委員になったからには!と自分にできる範囲ですが、相談に乗ったり、悩みに合わせた支援先を紹介していました。地域の福祉サービスをうまく利用できている方もいらっしゃいますが、まだご存知でない方に、自分が民生委員としてどのくらい紹介でき、寄り添うことが出来たか、今となって考えさせられています。
 若い時には思いもしていなかったのですが、高齢になるにつれ、この町の福祉や支援をもっと知りたいと思うようになりました。仕事柄、多世代の方たちと関わることがあるので、民生委員時代の経験も活かすことができています。

 普通の暮らしってなに?ってなると思うんですけど、みんながそれぞれ不安なく生活できることが「普通」なんじゃないかな、と思っています。「どうして自分だけがこうなんだろう…」と悩む人がいない、それぞれの普通の暮らしを送ることができる大木町になっていくといいなと思っています。

田中 等(たなか ひとし)さん

 55歳で役職定年を迎えた頃、新聞広告でカイロプラクティックの講演を知り、興味本位で参加しました。そこで技術に感動し、「こんなにもすごいものがあるのか」と強く興味を惹かれました。そして勉強を始めて2年が経つ頃に約1か月間アメリカへ渡航し、本格的に技術を学びました。今ではカイロプラクターとして専門資格を取得し、多くのリピーターの方に支えていただいています。

 十間橋の老人クラブ会長として地域に関わる中で、私自身、多くの人に支えられ予防医学の道へ進んだ経緯もあり、地域の方々に何かできることはないかと考えています。こうした想いから、活動の一環として、被災地を訪れ、施術を通じた支援などを続けています。これからも、人のためになることを惜しまず続けていきたいです。

森田 勝義(もりた かつよし)さん

 退職後、老人クラブやサロン活動を通じて、近隣地域とのつながりが広がり、互いに支え合える関係が築かれていったと感じます。毎月開催されるサロンでは、運動などの健康づくりとカフェでの憩いの場を半々に設けました。特に女性の意見を積極的に取り入れ、一昨年度から開始した「カフェ」は世代を超えた交流の場になっています。これからも皆が楽しめる場づくりを続けていきたいです。

 13年前に出会ったペタンクは、一昨年度には念願の全国大会にも出場することができました。今や欠かせない日課となり、仲間との笑顔あふれる時間を過ごしています。また、退職前から大切に続けてきた野菜作りは、土の感触と季節の移ろいを全身で感じられる至福のひとときです。体を動かし、自然と向き合うことで、心も体も健康でいられる気がします。これからも、「ペタンク」と「野菜作り」という二つの愛おしい活動を通じて、自分らしく充実した日々を重ねていきたいです。

野田 明美(のだ あけみ)さん

 20年ほど前に民生委員になったことがきっかけで地域に関わるようになりました。当時は、町のお祭りもあまりなかったため、夫と近所の方たちとポケットマネーを出し合って、景品などを準備し、夏祭りを開催しました。それが今の前牟田東の祭りになっています。民生委員になり、地域の方々と関わるようになったことで、月謝も払わずにたくさんのことを学び教わりました。その経験が現在の私を作っていると感じます。

 今まで民生委員などたくさんの経験をしてきて学んだことは“プライドは邪魔になる”ということです。まずはなんでもやってみて、自分に合えばすればいいし、うまくいかなければ別の手を考えて、それでもダメならやめればいいと思っています。何事も挑戦してみないと、できるものも出来ません。最近も近所の方から「今から来てほしい!手伝ってほしい!」とよく連絡がありますが、行けるときは行くけど無理なときは無理、その軸だけは持ちつつ関わっています。しかし、その関係を続けてきたことで、今は留守の間にポストにナスやタケノコが入っていることがあります(笑)

石川 洋一(いしかわ よういち)さん

 区長になり、地域の出事に出席するようになったことがきっかけです。それから地域の困りごとについて協議を重ねました。しかし、本当に困っている人は困りごとを言いづらく感じており、弱みを見せず抱え込まれていることが分かりました。地域の困りごとを解消できた例としては、今では盛んに行われている移動販売があります。地域の高齢化が進み、自由が利かない方が増えてきた中、地域へ販売に来てくれる移動販売は画期的なものでした。大木町社協では、そこから派生して、移動支援事業を行うようになりました。地域の課題解決のためには、まず困りごとがどこにあるのかをしっかり見つけ出すことが大事であると感じました。

 「隣近所とは絶対ケンカするな」。私はこの言葉を区長になってから口酸っぱく周りに伝えてきました。困った時、いざという時に手を差し伸べてくれるのは遠い親戚よりも、隣近所の方々です。自立を目指すことも大切ですが、できない部分は地域のみんなで助け合う「互助」が大切だと日々感じています。町民同士が互いに助け合うことのできる大木町になっていってほしいと強く願っています。

田島 茂樹(たじま しげき)さん

 工学科を卒業し、自動車企業に就職が決まっていましたが、遠方への就職に反対されたことをきっかけに、大型福祉施設の経営をしていた叔父の勧めで、全く畑違いの福祉の道に入りました。入所施設等での仕事を34年ほど続けながら、たくさんの知的障がいの方達の純粋さやまじめさに触れることができました。利用者さんから教わることや助けていただくことも多く、この仕事のおかげで現在の自分があるとの思いを胸に、日々感謝しかありません。

 以前からつながりのあった大木町に、長年の経験を活かし、B型事業所の「障がい者支援センターおおき」を立ち上げました。立ち上げ当初から、規則や決まり事に縛られない「施設らしくない施設」を目標としています。
 当事業所では、利用者さん一人ひとりの思いを大切にしています。また、大変な作業でも一つの目標に向かって協力してくださる時の利用者さん達のパワーの凄さにはいつも驚かされ、頼もしく感じています。

福元 紀子(ふくもと のりこ)さん

 18歳頃海外へ行く資金を貯めるため、知的障がい者施設の給食調理員として働き始めたことがきっかけです。その後1年間、カンボジアで日本語教師をしていました。日本に戻った後、習っていたピアノの先生のお父様が知的障がい者施設の施設長をされていたご縁でその施設で働き始めました。その後もA型やB型事業所で経験を積んできました。そんなたくさんのご縁やつながりで、これまで障害福祉に関わり続けてきました。“そのご縁をつないでいこう”という思いも込めて2021年3月「LLC就労支援センターえん」を福元代表と開所しました。

 開設当初から利用者さんの「楽しみ」に力を入れてきたのですが、当時65歳だった女性利用者さんから「焼肉って何?したことない」と焼肉をご存知ない方がいらっしゃいました。そこで代表と話し合い、思い切って奮発して利用者さんたちを焼肉に連れていくことにしました。焼肉を初めてする方、焼肉のタレという存在を始めて知った方がいらっしゃり、みんな「楽しい!美味しい!」と、とても楽しそうに喜んでくれました。それがきっかけとなり、今では年に1回の焼肉が恒例行事となりました(笑)

関 知洋(せき ともひろ)さん

 今の仕事を始めた頃は、障がいについて全く知識がなかったため、良くも悪くも、偏見や先入観を持つことなく、単純に一人の人として障がいのある方と接することができました。障がいがあるたくさんの方と触れ合えたことで、良いことや悪いこと、楽しいことや悲しいことも、共に分かち合い、そして「こうしたらもっと、より良い人生を送れるのでは」とその方の人生設計や目標も共有しながら、一緒に寄り添ってきました。その中で、自分自身の人間性など含めて心が豊かになったように感じます。それが自分のやりがいとなり、今までモチベーションを持ち続けてこられたのだと思います。結果的にですが、今の仕事は自分に合っていたんだと思います。

 ご本人やご家族が望んでいることをきちんと汲み取り支えていける、そういった支援者になりたいです。今までもやってきたつもりですが、それでもなかなか掴みきれない部分もあるので、これからはもっと痒いところに手が届くような、より丁寧で行き届いた支援ができるようになりたいと思います。また、自分たちがやっていることについて、振り返りや反省・評価しながら新たなニーズを把握していかなければならないと思います。

 大木町は、きのこで町おこしをしたり、環境リサイクル(ゴミの分別)等、先進的な取組みをされていて、それは住民の方からの理解や協力があって実現できているのだと思います。これからも大木町ならではの独自の発想をもって「大木町って人に優しいよね」とか、「障がいを持った人に優しいよね」といった福祉のまちづくりが実現可能なのではと期待しています。

松尾 結衣さん(まつお ゆい)さん

 私が大切にしていることは「子どもも楽しみ、そして私達大人も一緒に楽しむ。そうやってともに成長していく」ことです。もともと子どもと関わるのが好きで保育士になりました。子どもと一緒に遊び、楽しみを共有しながら、ふとした成長に気づいた時に、私はとても嬉しく感じます。
 こども未来課に配属となり、そだちの相談や親子教室など、これまでの保育の仕事とは違う新たな面もあり、自己研鑽の毎日を送っています。 
子どもの持っている力や性格は、一人ひとり違います。子どもの成長に戸惑うこともあるかと思いますが、関わりなどを一緒に悩み考え、その成長をともに分かち合えた瞬間が、私の今の仕事の喜びや励みになっています。

 ずばり、私たち大人が「インクルージョン」を発信していく必要があると感じています。
なぜかというと、福祉に触れる機会が身近にない方も多く、十分に認知されていない面もあるように感じるからです。理解や認知が、さらに広がり浸透していけば、安心して暮らせる町になっていくのではないかと思います。

雨森 貴子さん(あめもり たかこ)さん

 障がいや特性のある子どもたちが、自分でできるところは自分で行い、配慮が必要な部分は支援を受けながら、学習を受けるのが特別支援学級です。通常学級で、他の子どもたちと一緒に学習することもあり、そういった触れ合いや交流を通じて支援学級の児童と通常学級の児童とがお互いに理解し合っていきます。私は昨年から特別支援学級の担任になり、子どもたちと深く関わるようになりました。子どもたちはみんな素直で、みんな同じように遊び接する様子がよく見られます。大木町は小さな町なので、保育園・幼稚園から一緒に過ごしてきた子たちが多いです。私よりもお互いをよく知っていて、つながりが強いように感じます。「みんな変わらない」という思いを持った子どもたちが多いという点が大木町の魅力だと感じます。

 20年前に大木町で教えていた子どもたちが、親になり、その子たちの子どもを受け持つこともあります。教え子だった子たちが「先生~!覚えてますか?」と話しかけてくれるのがすごく嬉しいです。当時はあんなに幼かった子どもたちが親になっているのを見て、その成長を実感したときに“教員を続けてきてよかった”とやりがいを感じます。

新川 佳子(しんかわ けいこ)さん

 子どもの体育教室等の先生の仕事をしていましたが、母が倒れたことがきっかけで福祉の資格を取りました。その後、B型作業所や障がい者の入所施設などで経験を積み、その後、放課後等デイサービスで仕事をするようになり、ご縁もあり、昨年から大木町で働くようになりました。 

 虫の多さやその大きさに驚かされます。先日は、庭先の土が盛り上がっていたので不思議に思っていたら、モグラだと教えてもらい、久留米市では考えられない出来事にビックリしました。また別の日には、近所で飼われているヤギが庭先に脱走してきて、子どもたちと一緒に捕まえて返しに行きました。こんな経験が出来るのは大木町だからだな、と感じています。
 また、近所の方が柿の差入れをくださるなど、近所付き合いもでき、地域の繋がりや助け合いの気持ちが強いところが大木町の良さだと感じています。

 放課後等デイサービスは、障がいがある子ども達がスモールステップで、地域で生活していける力を養う場です。その子どもたちが地域に出た時に困らないように、また、より楽しく過ごせるように、まずは、地域の皆さんに障がいについて知ってほしいと思います。
 また、子どもは、いずれ大人になります。親元を離れる時期にも、住み慣れた大木町から出て行かなくてよいように、町内にもっと福祉の事業所など社会資源が充実することを願っています。

岡﨑 啓(おかざき けい)さん

 30歳の時に「利益のためではなく、人のために働きたい」との思いから、地元の近くだった大木町役場へ入庁しました。
 配属された福祉課で、窓口業務に携わるようになり、町民の方との触れ合いや繋がりの中で、人と話をしている仕事の方が自分らしいと日々感じています。自分が少しでも関わった方々が、自分らしくイキイキと生活されていることを知ったとき、決して目立つ仕事ではないですが、「私も人の役に立てている!!」とやりがいを感じます。 

 この仕事に携わるようになって、大木町の福祉を充実させていくには、「知る」ことが大切だと強く感じるようになりました。私自身、福祉課に配属されるまでは、障がいがある方がどんな生活をされているか知る機会がありませんでした。
 しかし、仕事を通して様々な方と関わらせていただく中で、障がいがありながらも大木町で生活している方の思いや、親の愛の偉大さを痛感しました。親元から巣立った後も、障がいの有無に関係なく、誰もが安心して暮らしていける町づくりが必要だと感じています。

中村 洋康さん

 子どもが大好きだった私は、退職後、地域の仲間に誘われて見守り隊に参加しました。孫が遠方に住んでいることもあり、見守り隊で出会う子どもたちがいつしか孫のように思えてきて、毎朝子どもたちに会うことが楽しみになっていました。元気いっぱいの「おはようございます!」や何気ない「ありがとうございます!」の一言が、私にとってかけがえのないものとなっています。大きくなった今でも挨拶をしてくれる子や、その子の家族などを通じて成長した様子を伝え聞いた時に、やりがいや喜びを感じます。

 少子高齢化の今、高齢者が高齢者を支えること、みんなで支え合って生きていく、その必要性を日々感じています。私自身、体力が続く限り、ボランティア活動を続けていきたいと思います。
 私たちの大木町が持続可能な共生社会として未来へつながっていくためには、もっと多くの子どもたちがこの土地で育ってほしい。新しい世代がこの町に根を下ろし、かつて盛んに行われていた祭りや今も続いている地域行事の灯を絶やすことなく引き継いでほしいと、心から願っています。

田中 節美さん

 主人と共に始めた声のボランティア。最初は、視覚障がいのある方とどう接すればいいのかわからない...と不安もありましたが、あるリスナーの方から「花が綺麗に咲いとるんよ」と話しかけられた時、「障がいがあってもなくても、みんな変わらないんだ」と気づきました。ボランティアを通して、見えない壁が少しずつなくなっていくのを感じています。今では、年に一度のリスナーさんとの交流会が、大きな楽しみとなっています。

 今はボランティアをする側ですが、いつかは誰もがサポートを受ける側になっていきます。私自身も、これまで多くの方々と出会い、お互いに支え合いながら歩んできました。人を助けることは、「助ける側にも助けられる側にも、それぞれに喜びがある」と思います。
 現在登録しているシルバー人材センターでの活動は今年度で終了予定ですが、来年度以降も社協で実施予定のワンコインサービス等、できる限りボランティア活動を続けていきたいと思っています。

家中 寿治さん

 中学2年で視力が低下し、柳河盲学校(現:柳河特別支援学校)へ転校した私は、憧れのあった京都の地で、鍼灸を学べる盲学校へ高校・大学と進学しました。視力の低下に直面しながらも、「自立するためには、免許を持った方がいい」と思い、鍼灸の資格を取得しました。勉強以外にも、月1回の山登り、琵琶湖での水泳やスキーにも挑戦し、心身を鍛えました。
 そして、学生時代に最も情熱を注いだのは弁論でした。NHK青年の主張で近畿大会に出場し、TVやラジオに出演する機会も頂きました。視力の低下にも負けず、積極的に挑戦し続けた日々が、私を強くしてくれました。

 私は「感謝と笑顔と前向きに」をモットーとして生きています。視力が低下した時も、前向きにどう生きていくか、どう楽しんでいくかを考えていました。
 誰しも人間は一人では生きていけません。困った方には手を差し伸べるのが当たり前だと思っています。みんなで助け合い、感謝し合うことこそ福祉であると考えます。

岡﨑 好宏さん

 小学生の頃、校長先生から剣道を教わっていました。その時から自分もいつか地域のために何かしたいという思いを抱くようになりました。その後、バドミントンに出会い、教室に参加するようになりました。社会人になり、バドミントンを通じて子どもたちの成長に少しでも貢献できればという思いから、監督を引き受けました。
 かつて校長先生が自分にしてくれたように、地域の子どもたちに恩返しをしたいという思いを胸に活動しています。

 幸せに向かって共に歩むことです。人それぞれ幸せや目標は異なります。そのため、その人に合った支援方法を見つけ、一人ひとりに寄り添った指導を行うことが大切です。どんな道のりであっても、最終的にその人が心から幸せだと感じられるよう、全力でサポートします。そうして小さな一歩一歩を共に進めていくところに福祉のやりがいを感じます。

 今後は、大木町の幅広い年代の方々、特に高齢者や子どもたちに運動を楽しんでもらいながら、その魅力をもっと広めていきたいです。じいさんがじいさんを教える、そんなユニークな光景が浮かびませんか?(笑)お互いに学び合い、支え合いながら、世代を超えたつながりを築けるよう地域で関わり続けたいです。

荒巻 理香さん

 20年程前にみすゞの会の会員さんから「音楽指導をしてほしい」と依頼を受けたことがきっかけです。そのご縁から、歌を歌ったり、ハンドベルを演奏したり、さらにはお祭りやクリスマス、夏休みのイベントのお手伝いをする機会に恵まれました。

 音楽を通じて子どもたちに笑顔になってもらえたり、「ありがとう」と感謝の言葉をもらえた時に、私も役に立てているのだと嬉しく感じました。単に叱るのではなく、各々に合わせたレッスンを工夫するようになり、自然と相手に寄り添う気持ちや姿勢が身につきました。どんな相手にも柔軟に対応できるようになったことは、私自身の成長にもつながったと感じています。

 私のピアノ演奏を通じて、身近な方々に少しでも癒しや安らぎを届けられるような会を作りたいです。今まではやりたいことがあっても恥をかくのを恐れて、やってきませんでした。これからは、やりたいことは恥をかいてでも挑戦してみようと思っています。

下川 恵美子さん

 小学生の時、近所の人にケガの手当てをしてもらったことがきっかけで、看護師になりました。定年後も仕事を続けていましたが、少し自分の時間ができたときに大木町社協のボランティア養成研修のチラシを見て、受けてみようと思いました。気付けば、色々なボランティアやサロン活動に参加することが楽しみとなり、今では生きがいとなっています。

 自分のために始めたボランティアですが、大木町が大好きなので、地域の人に笑顔になってもらえるような活動を続けていきたいです。何事も一人ではできません。みなさんと協力しあうこと、そして私自身が楽しむことが大事だと思っています。朝起きたらまず、笑顔で過ごすことを心がけています。人生、笑って過ごさないと損ですよっ!

荒木 明子さん

 子どもが中学生になった頃、市報でヘルパーの資格案内を見ました。以前は事務職をしており、出産後は専業主婦でしたが、受けてみようと思い、ヘルパーの資格を取得しました。登録ヘルパーから少しずつ仕事を始め、その後、現在のしょうふく苑に入職しました。

 利用者さん、利用者のご家族、職員同士の関わり、繋がりがあっての福祉だと考えています。人を好きでいることが、人と繋がりを持っていくうえで大切だと思います。
 今後も、必要としてもらえる限り、しょうふく苑で健康に働き続けていきたいと思っています。

宮原 伶奈さん

 お母さんや妹が手話サークルや音訳ボランティアをしていたので、自分も高校デビューしようと思って始めました(笑)
将来は、声に関わる仕事に就きたいと考えているので頑張っています。

 そよ風では、妹と同じように「広報おおき」の読み上げをしています。活動に参加するようになり、他の人への配慮を考えるようになりました。そよ風での経験を将来の仕事で活かしたいです。これからも活動を続け、人に伝わりやすい話し方が出来るよう努力していきます!

宮原 侑巳さん

 中学2年生の時、お母さんがしていた音訳ボランティアに惹かれて、参加するようになりました。そよ風では、「広報おおき」の読み上げをしています。噛まずに読むことは難しいですが、楽しく活動しています。

 ボランティアを始めて、たくさんの人と関わることができ、自分の視野が広がったように感じます。点字ブロックなど、普段の生活の中にある福祉に気づくことが出来るようになりました。今後は、誰もが過ごしやすい大木町になるように手助けをしていきたいです。

北島 光子さん

 私が22~23歳の頃の話です。買い物帰りに大根など重い荷物を持っていると、必ず挨拶をして、荷物を持ってくれる小学生くらいの男の子がいました。最初は気付かなかったのですが、その子は実は耳が聞こえないということがわかりました。しかし、ある時から会うことがなくなり、気になっていました。後から、親の転勤で引っ越したことを知り、とても寂しかったです。あれから50年、その子のことがずっと頭から離れず、手話を覚えていつかその子ともう一度会いたいと思っていました。そんな時、大木町で手話奉仕員養成講座があると知り、勉強を始めました。

 私自身手話を覚えるのは年だから無理だろう、すぐに辞めてしまうだろう、と諦めていましたが、優しいサークルの皆さんに助けられ、楽しく活動することが出来ています。

荒巻 明子さん

 息子が自閉症だったことがきっかけです。先輩ママさんたちの話を聞きたくて探していた時に「みすゞの会」と出会いました。

 障害年金などの難しい申請の時も、手続きに苦労された経験のある先輩ママさんからアドバイスをもらい、1度で審査に通りました。本当に助かりました。みすゞの会で月に1度開催している障がい者スポーツ教室では、パパ・ママ達の間で悩み相談や、経験談を聞くことが出来ます。

 今はなんでも携帯で調べることが出来ますが、本当に困ったときに助けてくれるのは“人”です。親亡き後、息子を助けてくれるのは地域の方々です。「人とのつながり」を面倒くさがらず、大切にしてほしいと思います。現在、みすゞの会には小さいお子さんの会員さんが少なく、私たちの経験を次世代に繋いでいくためにも、小さいお子さん、その親御さんの参加をお待ちしています。